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講談社から、5/10にカップリング雑誌「ジョーと飛雄馬」が創刊されることになりました。この2大名作の復活を記念して、イベントが開催されました。おりしも、今年はあの力石徹の葬儀が行われてから、33回忌にあたり、伝説の葬儀が行われたと同じ講談社6階講堂で再び、ファンが集うこととなったのです。
全国からの応募で招待状をゲットし、当日集まったファンは約300名。
‥‥という公式発表ですが、木曜日の午後3時からの日程がたたったのか、もう少し少なかったように思います。
それでもサラリーマン風の男性や、10〜20代の若者達、初老のおじさん、女性などなど、かなり幅広い人が講談社の本館横に列をつくり、開場を待っておりました。
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テレビカメラでの取材もきていて、かなり本格的なイベントとなっていました。私達グループは、列では結構前の方でした。談笑(というか、かなり盛り上がっていたかも)しながら並んで待っていると、仲間の幾人かががインタビューを受けていました。(翌日、フジの「とくだね!」で放映されたらしいゾ)
「ジョーで人生観が変わった」「(あなたの職業はなんですか?と聞かれて)あしたのジョーファンです」とナイスな答えをする面々に感心。
少し予定より遅れましたが、列が動きだし、開場!!
いざ、あの伝説の講堂へ!!
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エレベーターで6階講堂に入ると、すぐ目の前に力石徹の大きなパネルと共にひな壇が作られており、花でうめ尽くされていました。パネルには「この日が来るのを待ってたぜ。力石徹」と書かれている。
気分は一気に、33回忌ムードに‥‥。
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ステージ上に、巨大なジョーと飛雄馬のドアップのイラストがかかげられ、その両わき下には、立体看板とテレビが設置されていました。1999年11月にCSで放映された「特番:力石徹を殺したのは誰だ」の映像が流れていました。
中央は、びっしりと並べられたパイプ椅子の列が続き、入り口にあたる後方には、ひな壇の裏を利用したストーリーパネルがあり、両漫画のコマがランダムに張り付けられていました。
ふと後ろを見上げると、2階の席があり、すでにびっしりと関係者が座っていて、じっとこちらの様子を見ていました。
「もしかして、あの中にタイガー尾崎がいるんじゃない?」とジョー仲間でついつい、笑ってしまいました。
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式典の開始は、列席者全員による白いカーネイションの献花。ひな壇に手をあわせる人も大勢いました。そして、テンカウントゴング。(テープ音でしたが‥(^^;))厳かな雰囲気で始まりました。
司会としておりも政男さんと、白木葉子をイメージし、髪を上げた格好の川村亜紀さんが登場、マガジン編集長の挨拶が終わると、故梶原婦人の高森篤子さん、ちばてつや先生、川崎のぼる先生が順番に登場。それぞれ、簡単なコメントをしました。(以下コメントやインタビューの答えなどは、記憶によるものなので、言葉使いなどは、そのままではありません。)
高森婦人
「本当は皆さん、梶原を見たかったと思いますが、ごめんなさい。」
ちば先生
「力石徹のために、33年後にまた皆さんが集まってくれたことを感謝します。」
(川崎先生のコメントは失念!!覚えている方、ぜひ、お知らせください)
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皆さんが壇上にそろうと、すぐに会場からの質問タイムとなりました。さっと手をあげたのは、ジョー仲間のFさんでした(^^)。
「当時の力石の葬儀の様子を教えてください」
ちば先生
「葬儀はここと同じ講堂で開かれました。この広場の中央にリングをつくって、会場は真っ暗でした。熱気がありました。今でも、鮮明に覚えています。」
次に当たったのは、やはりジョー仲間のHさん。(^^)
「ちば先生は梶原先生とケンカ?しながら、描いていたと聞きましたが、川崎先生はどうでしたか?」
(これを聞いたちば先生が、苦笑して高森婦人に頭を下げていらした。高森婦人も、なごやかに微笑みながらそれを受けていらした。)
川崎先生
「実際にお会いしたのは、連載終了してから数回で、描いているときは一度も会ったことがありませんでした。梶原先生の原稿は、シナリオのようなものではなく、小説になっていて、とても面白い。これに負けないないぞと、燃えて描いていました。先生も私の描いたゲラを見て、負けないぞ、と続きを書いてきました。当時は私も20代、梶原先生も20代ほど、担当編集も20代で、お互い刺激しあって、燃えて作っていったと思います。マッチ箱のようなものです。今思うと、青春時代でした。」
最後にあがった質問は
「ジョーのラストの生死をちば先生は、どう考えていますか?」でした。
ちば先生
「今となっては梶原さんもいないので、本当のところはどうだったか、確認できないですが、僕はラストを『あしたのジョーだから、あのジョーには、あしたがある』と思って描きました」
3つの質問で、時間いっぱいになりました。
その後、応援ゲストとして佐藤藍子さんが来て「おおまかなストーリーしか知らなかったので、この雑誌の創刊を機に、最初からじっくり読みたいと思います。」とコメントしていました。
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ゲストも交えて報道向けに撮影が行われ、終了するとそのまま先生達は、ステージを去ってしまいました。もうちょっと、お話が聞きたかった気も‥‥。
入れ代わり、中畑清さんが現れ、おりもさんと巨人の星に影響受けた話や、漫画と現場のイメージは変わらず、漫画の取材がリアルにされていたと実感したなど、お話をされていました。
子供のころ、飛雄馬のあのギプスも作ろうと、試みたりしたそうです。
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